曽我の屋農興について About SOGANOYA
広大な那須高原で行われる
大規模飼育システムへの挑戦
当社の“こだわり”が凝縮された「曽我の屋の豚」は、
広々とした那須高原で育てられます。
おいしい豚肉を作る3条件の1つ「良い環境」を保つには、
新鮮な水や空気はもちろんですが、
発育ステージごとに農場を分散配置(マルチプルサイトシステム)し、
衛生レベルを高く維持することが最も有効です。
那須高原はこれらの要素を満たすことができる日本でも数少ない養豚適地です。
私たちはこれからも品質の良い豚肉の開発に尽力していきます。
飼料、環境、遺伝の3拍子揃った養豚で
自立した農業の確立を目指しています。
グローバル時代の到来でTPP(環太平洋パートナーシップ)がクローズアップされるなど、日本の農業を取り巻く環境は厳しいものがあります。それは養豚業界も例外ではなく、豚肉の輸入量は年々増加しています。しかし、だからといって輸入を規制するような措置をとることは、ますます養豚業の国際競争力を低下させることにつながります。
そうした中にあって曽我の屋が目指しているのは、政府の保護政策に頼ることなく自立した農業の確立です。社名に「農興」の文字を入れたのも、そのためです。企業養豚家の草分けとして、良質で安全な豚肉をお買得価格で提供するために、ハイヘルス種豚の導入や丸粒とうもろこしによる自家配合飼料の採用、大規模肥育システムへの挑戦など、おいしい豚肉をつくるための必須条件である飼料、環境、遺伝の3拍子そろった養豚を展開。さらに、生産から販売までを一貫して手がける流通体制を構築しました。
今後も私たち曽我の屋は、良質で安心できる食肉を提供することで人々の豊かな暮らしに貢献してまいります。
ごあいさつ
1894年、豚屋として創業して1世紀あまり。曽我の屋の養豚の歴史は、日本の企業養豚家の歴史といっても過言ではありません。
1960年、日本で初めて多頭肥育システムを確立したのをはじめ、常に企業養豚の先駆けとして経営の革新に果敢に挑戦してまいりました。
今日、国際化や貿易の自由化など日本の農業を取り巻く環境は厳しいものがありますが、曽我の屋の歩みにいささかの停滞もありません。良質な豚肉をお買い得な価格で提供する努力を重ねることで、国際競争力を備えた畜産業の確立に取り組んでいきたいと考えています。
代表取締役
会社概要
事業内容 | 安全でおいしい豚肉の、生産および販売。 |
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設立 | 1960年4月(創業1894年) |
資本金 | 1億円 |
従業員 | 90名(準社員、パート社員含む) |
売上高 | ●46億(2020年3月期) |
代表者 | 代表取締役 野上元彦 |
事業所 | ●本社 : 神奈川県平塚市南金目925 TEL:0463-58-0485/FAX:0463-59-0688 ●栃木本部 (那須農場): 栃木県那須郡那須町大字豊原乙1-1836 ●吉田農場 : 栃木県那須郡那須町大字豊原乙2270 ●高城農場 : 栃木県那須郡那須町大字豊原乙2879 ●豊原農場 : 栃木県那須郡那須町大字豊原乙1-21 ●大谷農場 : 栃木県那須郡那須町大字大島1616 ●営業部 : 神奈川県平塚市南金目925 ※各事業所の詳細は、「農場のご案内」をご覧ください。 |
主要取引先 | (株)ゼンケイ、横浜食肉(株)、群馬食肉(株)、(株)クリシマ、(株)コモディイイダ、 (株)田子重、滝沢ハム(株)、JA全農福島、(株)サイトウミート、(株)栃木県畜産公社 |
取引銀行 | (株)横浜銀行、(株)みずほ銀行、(株)三菱東京UFJ銀行、(株)足利銀行 |
曽我の屋農興の歴史
1894年 | 曽我要助が神奈川県平塚において豚屋を始め、 通称「相模の要助」といわれる大問屋となる。 |
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1917年 | 二代目曽我清三、豚改良の中心地である神奈川県において 中郡豚商組合長として、 中ヨークシャーを日本に根付かせた。 |
1960年 | 三代目曽我達夫、神奈川県平塚市に曽我の屋養豚株式会社を設立。 日本初の多頭肥育システムを確立。 |
1978年 | 栃木県那須町に株式会社曽我の屋第一ファームを設立。 |
1988年 | 曽我の屋第一ファームを曽我の屋農興株式会社と社名変更し、 那須農場とする。 同那須町において、吉田農場を建設。 |
1996年 | 神奈川県平塚市において、自社製品の流通を目指し営業部を開設。 |
2001年 | 栃木県那須町において、高城農場を建設。 |
2003年 | 栃木県那須町において、豊原農場を建設。 |
2007年 | 栃木県那須町において、大谷農場を建設。 |
2010年 | 栃木県那須町において、夕狩農場を建設。 |
2021年 | 栃木県那須町において、新大谷農場を建設予定。 |